雑記

続けている事


無意識で続けてしまう癖のようなものや、好きだと感じて続けている趣味など人は何かしら持っているんじゃないかなと思います。


僕であれば音楽を聴いたりゲームをしたり、喫煙や飲酒もここに含まれるでしょう。癖としてはため息や舌打ちなども入ってくるのかなと思います。頻度が低くても続けているのは運動だったり勉強なのではないかな。


これらに関して最近思うのは、辞めてしまっても「こんなもんか」と思ってしまうという事で、好きだと思って始めたはずなのにたいした思い入れもなく続けた時間の割に得たものも無い。やもすると環境や流れで始めただけで更に惰性で続けていただけなのではないかとまで考えてしまう。


いっそすっぱり辞めてしまう方が未練も残らず良いと最近は思うようになりましたが、癪なのは他人から勿体無いだとか口を挟まれる事なんですよね。余計なお世話だ馬鹿野郎。


だらだら書きましたが、辞めたい続けたいをあまり口に出すのはダサいなあと自分自身で気付いたというだけです。どっとはらい

雑記

自分の人生を生きていないような感覚はいつから覚え始めたのだろうか。

幼少の時分は全てが身近で、地に足のついている感触、吸い込む空気の匂い、眼で見るもの、触れるものさえ身体の延長線上にあったというのに、今はまるで上滑りをしているような感覚で日々を過ごしている。

TPSゲームの如く、まるで自分の背後から自分を見ている様な冷め切った自分がいるのだ。

劇的な人生とはよく言ったもので、活劇の様なドラマチックな展開を期待してるのだろうか?そしてそんなことは起こりうるはずもないことを理解してしまっているからだろうか。

根拠の無い万能感を持てていた時期は過ぎ去り、自分がどの程度の人間なのか気付き始めたのだろう。諦念と妥協とともに生きる事が楽だと気づいたのはいつ頃だったろう?

答えはとても分かりやしない。

 

どこで読んだか忘れてしまったが、最近は属するコミュニティにって自分の性格や立ち振る舞いをコントロールする人間が増えているそうである。きっとそうした行動を続けているうちに、表層に出てくる自分の側面であった筈のものが一つの人格を持ってしまったのではないかとも思ってしまうのは仕方のない事なのだろうか?

シーンごとの性格が出てきては入れ替わるというのはある意味では刹那的なのではないかと考えてしまう。そうした人格の不統合の様なものが不具合として出てきてしまったのが最初の上滑りしている様な感覚なのかも知れない。

 

きっと誰に求められるでもない自分を演じながらこれからも生きていくのだろう。自分の人生さえも演じる様な感覚で。

雑記

仕事について


就職したのでもちろん仕事をしているわけだがどうも今年度は研修が長いようで、なかなか本配属といっていない。これはこれで楽なのだがどうにも宙ぶらりんな感じが否めず、友人と話していてもあまり深いところまで話せないなという気持ちでいるのが現状である。しかし他の企業の話を聞いてみると配属されてからそこに固定されて社内での交流も少ないといったような意見も聞くため一概にどちらがいいとはいえないのかなと感じる次第だ。

前置きが長くなったが、私が言いたいことは仕事に対する姿勢や感情をある程度は自分の中で処理してほしいというだけである。というのも久々に友人と会えるということで飲み会のようなものを行ったのだが、誰も彼も口を開けばやれ誰々が嫌いだとかアレは間違っているだとかそういう話ばかりになってしまったのである。勿論気のおけない友人相手に多少の愚痴を零すのは信頼されてるのだなと嬉しくもなるが、流石にその会社の人間じゃないんだから固有名詞を出してひたすら非難していてもこちらはちっとも理解できないし面白くない。昔話に花を咲かせろというつもりもなければ業務的な近況報告を求めてるわけでもない、ただ色々と駄弁るのも良いんじゃないかなと感じてしまうということなのだ。あとはあまりにもしょうもない愚痴ばかり吐かれるとそんな事も我慢できないのかと逆に腹が立ってしまうので、仕事についてできれば自分の中の落とし所を探して欲しいと感じるのである。

雑記

性格について

誰だって自分の性格はどうなんだと考えることはあると思うけれど、その例に漏れず自分も輪郭だけでも掴めないかと考えることがある。(そういうことをするときは心が弱ってる時か酔っている時なのであるが)


結論から言ってしまえば、自分は他人の事を特に考えていないのだなというところに落ち着いてしまったのだ。


勿論社会で生きていくうえでは他者とコミュニケーションは必要不可欠であるし、私も別に人とコミュニケーションをとるのが嫌いというわけではないのだ。ただある程度まで親交が深くなったらそこから先はどうだってよくなるという傾向があることに思い至ったというわけだ。

よくある「相手の事を深く聞くのは失礼にあたる」「そこまで図々しく入り込むのは気がひける」などという配慮ではなく、本当に心の底から私は相手の底や芯の部分に興味を持っていないのである。


口では「面倒だ」「関係に支障が出るかも」だなんて言い訳をしているし実際そういった面も無くはないのだが、そこまで知ろうとしなくても程よい距離感で付き合えるなら必要もないじゃないかと感じているのも事実なのである。

合理化された思考といえば聞こえはいいのだろうか?、自分でもわからない。

雑記

旅行について

最近は旅先でもスマホを使う機会がどんどん増えているように感じる。ガイドブックがわりに使ったり友達と連絡をとったり地図を見たりと、かつては別々でそれ専用のアイテムがあったとはとても考えられない。自分としては少ない荷物でスマートな旅に変化していっているというのはわかるが少し寂しい気持ちにもなってしまう。

そのように色々なアイテムがまとめられていく事でスマホを見る時間がどんどん増えていっていき、まるで旅行中なのに画面を見ている時間の方が長いのではないかと錯覚してしまうほどだ。さらに空き時間でアプリやゲームをしていたら本当に逆転したようなものなんじゃないのだろうか。

おかしな話ではあるが、旅行中に旅行に集中をしろという気持ちになってしまうのだ。文字通り世界中どこでもゲームなぞ出来るんだからたまにはそういった柵を自分で断ち切る力が必要だと考えている。

 

個人的な感情でいけば、一緒に旅する相手が延々とスマホを覗いていたら不快とまではいかずとも憐憫の感情を抱いてしまう。

雑記

映画『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきました。正直なところ自分は洋楽かぶれだなという自覚はあります、ありますがそれとは別としてクイーンの存在は外せないものだという認識があったんですね。

あとは観てきた友人の悉くがこの作品を褒めちぎっているのですよ?更にTwitterを眺めていてもこの作品についてのダイマや肯定的な感想が蔓延っているというのであればなぜ観に行かないであろうかということですよ。

作品の中身についてはここでツラツラと語るよりも観てもらった方が良い、百聞は一見にしかずですね。あえて何か一言書くとしたら、キャスティングがドンピシャだったという事ですかね?特にブライアンは生き写しなんじゃないかと疑うレベルでした。